



グラフィックデザイナーを生業とするきっかけとなったのが、10代の頃(1990年代)に傾倒していたHIPHOPカルチャーの「GRAFFITI ART」。当時は、桜木町駅の高架下に約1kmに渡って数え切れないほどのグラフィティが描かれていた。その魅力に取り憑かれ、見様見真似でノートやベニヤ板に書き殴っていた学生時代。「○組の山下がカバンに絵を描いてくれるらしい」いつからかそんな噂が広まり、他クラスの話したこともない同級生のカバンにタギング(スプレーやマーカーで描いた簡易的なサインの様なもの)やレター(文字のグラフィティ)を描いていたことが、今の仕事を志す原体験。